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メールマガジン バックナンバー 第59号(2006.11.10)

2006.11.10(第59号)

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1.美しい弱さ(論長論短 No.26)
2.マンガコラムニスト夏目房之介さんの連載エッセイ 「ちょっと与太話」2
3.「反響・反論・反省」

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■1.論長論短(No.26)

美しい弱さ

宋 文洲

「弱いね」と言われて喜ぶ人はいません。謙遜で自分のことを「弱い」という場合はありますが、まじめに「あなたは弱い」と言われるとやはり不愉快なものです。

動物の世界も同じです。相手に自分を強く見せるために体を大きく見せたり大声を出したりして強さをアピールするのです。

強いものが戦わなくても相手を負かすことがあるので、生物は種の保存本能で強さを求めてやみません。また「弱肉強食」の言葉が象徴するように、実際に戦うと強いものは確かに勝つのです。

しかし、強いことは案外戦術であり、戦略的ではないのです。

「かよわい女性」と言いますが、その弱い彼女達を守っているつもりの男性が本当に強いのでしょうか。同じ育て方でも男の赤ちゃんの死亡率が高いことは周知の通りです。異なる文化圏に飛び込んだ時、挫折しやすいのは男性の方です。

失恋したら女性は弱々しく泣きますが、その立ち直りは男性よりずっと早いのです。「もともと女性が強い」とおっしゃる男の方々も多いでしょうが、そんな方々に限っていざとなると「俺も男だから・・・」と頑張ってしまいます。

実に人類は弱い生物です。我々は脳を除けばあらゆる機能が弱いのです。我々の先祖が恐竜に滅ぼされなかったのはただの好運に過ぎないと思われるほどです。人類は弱いからこそ生き残った側面があります。

「弱い人」は得することが多いのです。強がる男よりも女性に弱みを吐ける男の方がもてるので。強い部下よりも弱い部下の方がリーダーの保護をもらえるのです。弱いペットが強いペットよりずっと繁殖するのです。

強さを美とする人達にしてみればとてもプライド上許せない議論です。「紐男になりたくない」、「上司に媚を売る部下は卑しい」、「俺はペットよりも飼い主になりたい」と。

しかし、堅固な材料だけで作られた建物は弱いのです。弱いつなぎと遊びがないと地震に耐えられません。強い個人だけでできた組織は強くないのです。意外と弱い個人も存在する組織の方が全体としてより強い組織です。弱者を作らない社会はあり得ません。弱者は強者と同様、自然界の摂理です。

我々が時々間違いやすいのは弱者が敗者であり、存在価値が低いという偏見であり、コンプレックスです。これが理不尽な弱者いじめの問題を起こし、不幸な強者を量産してしまいます。

弱いものには大事な戦略的効用があって、強いものと共に強い組織を形成します。強弱は時間と空間に依存し、入れ替わるものです。生き残って進化したものは強いものではなく、弱いものでもなく、環境に適用したものです。

弱には弱の美しさもあります。弱は、誰にも迷惑をかけません。弱は、助けてくれる人の心を救います。弱は、絶望した中途半端な強者に生きる勇気を与えます。

それでも弱さを許せないでしょうか。

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ちょっとしたご説明

心配しながら「美しい弱さ」を書きました。「宋さんは何を言いたいのか」と皆様はきっと思っておられると思います。

実は僕が日経ビジネスオンラインの自分のコラムにいじめ自殺の問題を書きましたが、連日予想外の反響を引き起こしました。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061031/112784/

僕は「逃げること」、「弱いこと」など、これまでマイナスと思われることに対してもっと寛容的になるべきだと主張しました。

これは勝ち組と負け組、格差の拡大の議論にも通じることです。勝ちと負けがあっての世の中。高給取りと安月給があっての世の中。強いものと弱いものがあっての世の中。行き過ぎを警戒すべきですが、無くすことは不可能です。

併行して努力すべきことがあります。それはもっと勝ち負け、格差、強弱に対して寛容になることだと思います。同じでないと不幸だと思う社会には何時になっても幸福がやってこないのです。

(終わり)


■2.マンガコラムニスト夏目房之介さんの連載エッセイ「ちょっと与太話」2

「女房と実体経済」

夏目 房之介

「女房とは、何ていうか・・・・ヒップな関係だったんだよ。会った頃はね。70年代の初め、そういう時代だったんだ。それはでも、けっこう続いたと思うよ。何だかんだで80年代までは、そうだった気がする」

最近離婚した知人が、奥さんとの関係を、こんな風に語ったことがある。

「うまいこというなぁ」と思った。

「ヒップ」という言葉が、本当は英語でどういうニュアンスなのかわからない。
けど、「厳密には意味がわからない・伝わらない」ということも含めて、時代がらみに熱く濃密だった奥さんとの関係を示す、とてもうまい言い回しだった。

意味がよくわからないとか、使う文脈がまるで違うので定着しなくて曖昧だとか、そういう要素を使って、何か「新しい耳障りのある新鮮さ」をもたらすことが、言葉はできる。じっさいそうした使い方で多くの言葉が「流行」する。

カタカナ言葉のほとんどがそうだし、大抵のそれらは本来の外国語と意味が違っていたり、ただのファッションだ。だから、やたらと流行のカタカナを連発する人種は、あまり信用されない。でも、一方でやはりそういう言葉につかまる人々も相変わらず多い。それはつまり、言い回し、言い当てが、相当いい加減でありながら「何か」の時代的雰囲気を掴んでいるからなんだろう。

何でそんなことが起こるかというと、そもそも言葉なんて曖昧で、いつも流動し変化し、だからこそ決まった文脈と意味の使い方があると断定しないといけないような心的現象だからだ。海の上に杭を立てるようなところがある。

「バブル経済」という現象の説明に「実体経済」から離れた・・・・という言い方があるけど、じゃあ「実体経済」って何で、どこまでがそうなの、って考え始めると、本当は曖昧で流動的で不確定なものでしかない。

でも、だからといって「バブル」といわれた現象が存在しないわけじゃない。
「実体」性を確定できなくても、その言葉によって示されようとしている「まともさ」自体は必要なのだ。

要するに、言葉と現象の、そんな厄介な関係を知った上でものを語っているかどうか。多分、とりあえずの問題はそういうことなんだろうね。きっと・・・・。
奥さんとの関係をうまく言い当てられる人が、経済や世界のことを言い当てられるかどうかは、また別問題であるにしても・・・・。

(終わり)


■3.「反響・反論・反省」

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(1)井上さま(仮名)から頂いたメールです。
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「矛盾論」というタイトルに興味を抱き、全文を読みました。
・「一見矛盾と思われる場合でも、その背景に共通の意図が隠されている場合
がある」
・「弁証法」は「物事の本質を炙り出す科学的な手法のひとつである」
・「だから、矛盾の背景にある本質を弁証法を用いて炙り出した結論は、その矛盾の本質で有り、科学的な論拠として成立する」
とおっしゃっているのかなととらえました。

「矛盾」に「論」がつく「矛盾論」は毛沢東さんの著書の和名ですね。宋さんのこの文の中で、「矛盾論」や「弁証法」については深く触れられていませんが、弁証法はソクラテス・プラトン、カント、へーゲル、マルクス・エンゲルスと定義や認識が変わって来たという歴史があるようですね。

私の理解する「矛盾」はいたって単純で「相反していて両立しない」と言うことです。だから、「美味しいからの残さない」「盛大だから食べきれず残す」は「相反していないし、両立を否定するもの」ではないです。

「食べ残し」のことですが、日本人は「美味しいから残さない」というより、「もったいないから」「美味しくないけど、相手と気まずい雰囲気を作りたくないから」など、いろいろなことが潜んでいます。最近の若い人は「自分本位」だから、「残したければ残すし、食べたければ全部食べて、おかわりもする」ようです。「飽食の時代」と言われて十数年たったでしょうか。
また、楽しみにしております。

井上

(終わり)

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