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宋文洲のメールマガジンバックナンバー第280号(2015.07.24)

中途半端のおすすめ


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1.中途半端のおすすめ(論長論短 No.247)
2.南極観測を支えた企業たち
  (福西浩 東北大学名誉教授 連載「南極~フロンティアへの挑戦」 第5回)


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■1.論長論短 No.247

中途半端のおすすめ
宋 文洲

「中途半端」には決してよい意味がありません。しかし、私にとって中途半端はとても大切なことだと思います。

日本語にはプロ意識という言葉もあります。まさに中途半端を徹底的に排除する意識です。しかし、プロには多くのリスクがあります。プロになるには自分の大切な投資である時間と労力を同じことに集中させてしまうのです。若いうちにこんなことをするのはリスキーなのです。

私は子供に日本語のほか、中国語も英語も覚えさせています。小さい時からそれぞれの言語環境の中で生活や学習をしてきたので、どの言語もネイティブですが、実はどれも中途半端です。先日、中学生にもなった息子が日本語の「景気」の意味が分からないと言うのです。

一瞬、中学生なのに「景気」も知らないのは大丈夫なのかと心配してしまうのですが、考えてみれば子供は同時に三カ国語を覚えているので、一カ国語しか覚えない同級生と比較するには無理があります。

そのかわりに私の子供達は何かを調べるとき、日本語のみならず中国語と英語でも検索します。相手が日本語を話す時は自然に日本語で応じるし、中国語や英語が聞こえると条件反射的に相手の言葉を話すのです。難しい言葉を覚えるのは遅れてしまうのですが、大きくなってどれかの言語を集中的に使う時、自然にその言葉を深掘りするのです。

「日本語も中途半端なのに外国語なんて」という人が日本にたくさん居ますが、だいたい言う本人は外国語を話せないのです。人間の考えの深さは言葉の難しさに比例しないのです。現に知恵のある人ほどシンプルな言葉を選び、無知な人ほど難解の言葉を好むのです。

中途半端だと成功しないという考えはあります。これは職人やプロの世界の話です。つまり条件で競争し、同じ物差しで成果を測る場合、その深さで成功を測るからです。同質社会では、職人やプロではなくても、同じ物差しで人生を測る傾向があるため、どうしても余計なことを覚える人間には不利です。

しかし、ビジネス、特にベンチャービジネスはこの限りではありません。
世の中で既に多くの人々が従事していた事業に参入し、その先人達と比べてより高度な成果を出すのは難しいうえ、人的リソースの配分から見ても合理的ではありません。金融でいえば既に買われた株をさらに買うようなもので折角の投資でも時間が経てば落ちて行くのみです。

自分の体験を語るのは恐縮ですが、私は土木工学を研究して博士号まで至りました。しかし、創業した会社はIT企業であり、営業効率を上げるためのソフトとサービスで上場しました。20年前、ITという言葉があまり使われていない時代に参考書を読んだり、IT専門の先輩に聞いたりしてプログラムを書いていました。

土木工学で覚えた構造力学や工程管理がIT製品の設計に活かされたため、独特な発想の製品に繋がりました。それが市場における差別化となり競争力となりました。

中途半端なことを複数身につけると、それぞれのことに潜んでいる共通原理が自然に見えてくるのです。その共通原理こそ物事の本質であり、成功に通じる道なのです。そしてある時、人は自然にあることに集中する時期が来ます。その時に過去の中途半端が全部活きてきます。

職人もプロも良いのですが、中途半端も良いことはたくさんあります。
より多くの能力を身につけ、より広い視野を持ち、より多くのチャンスに出会うために中途半端は大切な戦略なのです。

(終わり)

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■2.東北大学 福西浩名誉教授 連載「南極~フロンティアへの挑戦」 第5回

南極観測を支えた企業たち
福西 浩

南極観測は12カ国の国際共同事業として半世紀前の1957年に始まりましたが、日本以外は全て第2次世界大戦の戦勝国でした。当時の日本は廃墟の中からようやく立ち直り、高度経済成長期が始まったばかりの段階で、科学技術力でも他国に比べ圧倒的に不利な状況にありました。

しかし南極観測は当時の閉塞感を打ち破るものとして日本国中から熱狂的な声援を受け、一般の国民から3千万円、500社近い企業から5千万円、朝日新聞社から1億円もの寄付が寄せられました。当時のGDPは現在の50分の1程度でしたので、この多額の寄付金には驚かされます。

しかも多くの企業が、厳しい南極の自然に耐える建物、設備、機械、装備品、食料品等の開発に果敢に挑戦し、世界に誇る性能をもつ製品を短期間に作り出しました。

例えば、食料品では無洗米、冷凍食品、インスタントラーメンなどが観測隊のために開発されました。インスタントラーメンに関しては、東明商工や日清食品が開発したばかりの段階でしたが、南極で使用し好評だったために、その後、各社は開発にしのぎを削り、急速に発展しました。嗜好品では、ロッテが観測隊のためにビタミンやミネラルを添加したクールミントガムを開発し、現在でも人気の商品です。

建築では、プレハブ建築技術の発展に南極が大きな貢献をしました。我が国初のプレハブ建築は南極観測隊用に竹中工務店が開発した「南極建築第1号」です。
最大風速80m/s、最低温度-60℃に耐え、数人で組立てられる建物として開発されました。

基地が大型化した第8次隊以降は、ミサワホームが建築を担当し、耐風・耐寒性能に優れているだけでなく、輸送性に優れた木質パネルを用いたプレハブ建築法を開発し、その技術は国内の住宅産業にも急速に普及しました。

隊員の装備品関係では、東洋レーヨン(現東レ)、帝人、倉敷レイヨン(現クラレ)がナイロン、ポリエステル、アクリル、テトロンなどの合成繊維を開発したばかりの段階でしたが、外国隊に先がけてこれらを使った軽く防寒性能に優れた防寒服が開発されました。

また極地での行動に重要な防寒靴に関しては、第4次越冬隊長だった鳥居鉄也氏がオニツカ社(現アシックス)の故・鬼塚喜八郎社長の協力を得て合成繊維を用いた靴を開発しました。大変優れた防寒性能をもち、究極の防寒雪靴といわれており、公益財団法人「日本極地研究振興会」がその特許を引き継ぎ、アシックスが製造しています。現在でも日本隊だけでなく、アメリカ隊、ニュージーランド隊、ドイツ隊、中国隊などがこの防寒靴を使用しています。

車両関係では、小松製作所が各種の雪上車の開発を担当し、その中で第9次観測隊が昭和基地―南極点往復5000キロトラバースに使用したKD604、605雪上車は機械技術史上における価値ある文化遺産として、2014年度の「機械遺産」に認定されました。またトヨタのランドクルーザーは南極の夏期の昭和基地での物資輸送に活躍しました。

発電機や雪上車用エンジンではいすゞ自動車が、衛星通信ではNECが大きな貢献をしています。写真記録で活躍したのは耐寒性能に優れたニコンやキャノンのカメラと富士フィルムのフィルムでした。50年前のASA10の富士カラーフィルムで撮影した写真がいまだに色あせないのには驚かされます。

このように厳しい南極の環境に挑戦した企業は、その後大きな成長をとげ、今日の日本を担う企業として活躍しています。「フロンティアへの挑戦」は研究者だけでなく、企業の成長にも欠くことのできない要素だと南極観測は語ってくれます。

(つづく)

執筆者:福西 浩(東北大学名誉教授)

東京都出身、東京大学理学部卒、同博士課程修了、理学博士。米国ベル研究所研究員、国立極地研究所助教授を経て、東北大学教授として宇宙空間物理学分野の発展に努める。南極観測隊に4度参加し、夏隊長や越冬隊長を務める。
2007年から4年間、日本学術振興会北京センター長として日中学術交流の発展に尽す。2011年から3年間、東北大学総長特命教授として教養教育の改革を推進する。専門は宇宙空間物理学で、主に地球や惑星のオーロラ現象を研究している。現在は、公益財団法人日本極地研究振興会で南極・北極観測の支援と研究成果の普及・教育活動を推進している。

公益財団法人日本極地研究振興会ホームページ:http://kyokuchi.or.jp/

(終わり)

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