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宋文洲のメールマガジンバックナンバー第342号(2017.12.22)

終わりの意識

「もう年末か、早いな。」毎年言っているような気がしますが、言ってしまいます。

年末を意識して生きていないからです。昔、お正月はごちそうを食べて休んで楽しいことができる貴重な日だったので子供から大人まで早い段階から年末の到来を待っていました。だから「早くこいこいお正月」、「もういくつ寝るとお正月」という歌があるのだと思います。

たぶん一生もそんな感じだろうと思います。人間は早いうちからなかなか自分の死期を意識して生きていないものです。平均寿命を知っていても中年の人は自分と関係あると思わないでしょう。70歳後半の人が「なぜ貯金するのか」と聞かれると「老後のため」と答える人が多く、人間は老後であっても老後の自覚がないため、ついつい死期に気付かないのです。

某経営者先輩は80歳近くなってもなかなか引退しません。いつものように会長や顧問になってもそれは単なる言い訳で人事などの重要な権力はしっかり握っています。たまに経営上の悩みをあれこれ相談してきますが、一番進言したいのは会社を離れて奥さんと世界旅行することです。

どうも奥さんも私と同じことを考えているようですが、なぜかご本人はとても権力を手放す気がないようです。

マスコミから鉄道会社まで、電機メーカーから電力会社まで、日本企業の衰退要因は企業の保守性ですが、その保守性の要因は企業のトップ人事です。企業のトップ人事は死期を意識しない人たちに握られてきました。終わりを意識しない人こそ最強の保守派であり、根本から革新意識を遮断しています。

人間の最大の特徴は自己中心です。いろいろな綺麗ごとを言って誤魔化すのですが、人間の生物としての生存本能ですから誰もそこから逃げられません。しかし、実際には誰も世界の中心になれませんし、誰が死んでも翌日の世界は何も変わりません。

終わりが来ると意識すれば、人間はもう少し自分の意識の外から自分の存在を眺めることができると思います。形式のお葬式が行われるが、翌日の周辺は何一つ変わらず通常通りに回転する。どうせそうなるのだから誰を偉くするか、誰を降格させるかではなく、もう少し自分をどうするか、自分の人生をどう楽しむか、一生をどう終えたいのかを考えるべきだと思いませんか。

「終わり無き戦い」と立志の書を読むとよく出てきますが、それは立志のためのセリフです。人生が終わる以上、その人にとってすべて終わるのです。他の人が引き続いてどうやるかは他の人の自由であり、死んでいく人は心配する必要はありません。むしろその心配が言い訳になり、自分の終わりを認めず、社会の迷惑になるのです。

終わりがあるから始まりがあります。落日があるから旭があります。終わりの意識こそ、改革を促すのです。

とてもめでたい話ではないのですがお許しいただきたいと思います。宋メールが最近めでたいことを滅多に言わないということは、この宋メールもいずれ終わりにしないといけないことを示唆しています。

皆さま、良いお年を

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